まださなぎ(旧)

誰かさんの蝋の翼。気負わず気楽に書いてくよ。

とりあえず宗教・神社編

 

 (記事修正・2016/05/30 : 『続きを読む』を設置してない初歩的ミスを修正

同日追記:目次を『続きを読む』内に格納)

前置き

 

語りたいと思っていても、あんまし語れない。いざ語ろうと思っても、何を語ればいいかわからない。それでもそれでも、語りたいこと。

誰にだってそういうのはあると思うけど、僕にとってはまずひとつ、『宗教』の話がそれにあたる。

宗教を語るのは難しい。ともすれば専門用語の羅列に終わるし、ともすれば電波文章に変わる。しかし、情熱なく、冷えてる上に薄っぺらい文章は、その存在意義すら見失ってしまう。

 

ひとまず、この記事では神社・または神道について語る心持ちでいるよ。ただ、先に重要な点を一つ。

客観的だと標榜する人は、だいたいのところ客観的ではない。「宗教勧誘は行いません」と前置きする人は、だいたいのところ宗教勧誘してくる。というわけで、「この記事は客観的で、宗教勧誘は行いません」ので……よろしくね?

 

神社・インプレッション

さて本題。

お宮参りに七五三、お祭りに結婚式に地鎮祭、そして初詣。氏子のうの字も知らなくても、神社を訪れたことは誰にだってあるはず。「家の近くにあるのが神社なのかお寺なのかようわからん」というなら……あれだ、鳥居があったら基本的には神社だよ。(例外もある)

古臭く抹香臭いあっちの方とは違って、神社は古臭いだけに収まっている。でかいところから金目の匂いがプンプンするのは、どちらもさほど変わらないけれども。

 

寺は仏教、教会はキリスト教、そして神社は神道。大昔から日本に根付いていて、日本文化の底流をなしている。毎年の初詣では、信じられない人数が賽銭箱に金銭を投げ込み、凄まじい金額が動く。といった辺りの説明は、さすがに必要ないかと思う。

 

一応神道について説明しておくと、神道は日本土着の宗教形態だ。縄文人が持っていた自然を重んじる心(自然崇拝)と、弥生人たちの祖先を特別視する心(祖先崇拝)が混ざりつつ、はっきりとした定義を定めないまま現在に至っているんだよ。

キリスト教での聖書、イスラーム教でのコーラン仏教の仏典ほどに重要視されている聖典はない。古事記日本書紀などの参考書籍(神典と仰々しく呼ばれている)はあるけど、神道の本質はそこではない。

「じゃあ本質はどこ?」と聞かれると答えに困っちゃうけど……。「弥生人が持っていた儀礼・文化」を今の今まで続けてきている、という点は神道の特異な点であり、本質的な部分の一つではあるだろうね。


ちなみに、古事『記』と日本書『紀』とを略して『記紀』と呼んだりするよ。この呼び方をしてる一般人を見かけたら、おおむね神道好きと考えて間違いないよ。ホントだよ。

 

神社・インカミング

 

日本全国津々浦々、神社はどこにでもある。性格上、僕は物事をはっきり断言することは苦手だけど、これについては胸を張って断言できる。山の上から海の下、マジでどこにでも神社はある。有名なTipsだけど、「神社はコンビニより数が多い」んだよ。

無論、寺も同じ程度にあるし、神社に対して神職が圧倒的に足りないバグ(または仕様)もあるんだけど……。その辺りについては横に置いておこう。

 

なんにせよ、どこにだって神社はあって、その数だけ神(ネットスラングじゃない方)がいると言っても過言ではない。おっと、「さすがはっぴゃくまんの神様だあ」とは言わないように。「あれは八百万(やおよろず)って読むんだうんぬん……」と冗談の通じない神道好きが現れちゃうぞ。

 

それだけ数が多いならまあ、行く神社は適当に気分で選べばいいとして。さて次は参拝の話……と行きたいところだけど、神道は「儀礼の宗教」と言われるくらいなので、参拝するときのマナーが非常に多い。ほら、「二礼二拍一礼」とか聞いたことあるでしょ?

軽く調べるだけでうっと頭が痛くなるくらいルールが多いし、しかも、時と場合によっては完全に矛盾してる意見を見比べることになったりで困ってしまう。

気になる人は、各自他サイトのチュートリアルでも探してね。(わかりやすくリンク張っちゃうと、この先の文章の流れが少し崩れちゃうの。ごめんね。)

 

が……まあ、だいじょぶだいじょぶ。オンラインゲームでもガチ勢とエンジョイ勢とかって用語があるように、神社のマナーはガチ勢にまかせて、素人はそこまで身構えなくてもいい。

「そういえばトイレ行った後手洗ってなかったや」程度の気分で手洗い場(手水舎)で柄杓を握ればいいし、「しまった、ハンカチねえや」と気づいたらジーンズのおケツで拭けばいいのさ。

なんか大きな建物の前で「何回手叩くんだっけ?」と思い出せなかったら、気が済むまで手を叩けばいいし、「来たは良いけど願い事も賽銭も持ち合わせてなかったな……」となればそのまま帰ればいい。神社に来てみたおかげか、それとも、もう家に帰れるおかげなのか、足取りも軽くなってるかもだし。「道の真ん中」を通って堂々と帰ろう。

 

とまあ……これはわざと悪い例を列挙したけれども。「儀礼守って信心知らず」と「儀礼知らずの信心持ち」だったら、僕は圧倒的に後者の方が良いと思うなあ。(※個人的な意見)

これはキリスト教的観点であって、ユダヤ教的観点ではまったくの真逆になっちゃうんだけども。

 

ちなみに、柏手については神職の人の中でも諸説あるから、これが合ってなくもないってこと。

衛生上の理由(他人への配慮だけでなく、自分がお腹下さないための配慮)で柄杓に口つけるのだけはおすすめしない、って二点だけは付け加えておくよ。

 

神社・インバイ

 

とまあ、入門的なことを長々と語ってきたけど、読んでる人が気になってるのはそういうことじゃないよね。

神社は「神」の社であって、神社の話に神の話がなければ、片手落ちどころか両手落ちだ。……とは言っても、簡単に説明するには何分難しい話なんだよ。

 

だからここは……僕の地元(からそこまで遠くもない辺り)の神社の話をきっかけとすることにしよう。名前は『広峯神社』って言って、とにかく山の上にある神社だよ。

話をわかりやすくするためにいろいろ省くけど、ここの神様は「牛頭天王(ごずてんのう)」って名前……だった。明治期に出された「神仏分離令」からは「スサノオノミコト」って祭神に変わって、でも、広峯神社は今でも「牛頭天王総本宮」(わかりやすく言えば、「牛頭天王の一番のお家」)と称してる。

 

ありゃりゃ、よくわかんない話になっちゃうね。一見矛盾してるように見えるけど……実際はあまり矛盾はない。それは、この牛頭天王って神様の起源に秘密があるんだよ。

またいろいろ省くけど、この神様は「日本の外からやってきた」が売りの異国情緒溢れる神様だったんだよ。ええっと、少なくとも平城京の時代(ざっと千年以上前)から名前が広まっていたんだって。これは考古学的に発掘された木簡から判明したんだけど……詳しいことは他のサイトか、専門書を読んでね(丸投げ)。

 

いや、僕がまたの機会に記事にしてもいいんだけど。ほんと小難しい話で、この記事のキャパシティを軽くオーバーしちゃう内容なの。ごめんね。

それで異国の神様である牛頭天王は、「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」ってこれまた説明がめんどくさい考えから、あの記紀でのメインキャラであるスサノオノミコトと(ついでに薬師如来とも)同一の存在である、と考えられるようになっていったんだよ。

 

これに今風の例えをするなら、そうだなあ。アニメ好き界隈だと、声優さんが同じキャラクター同士でネタを共有する、「声優ネタ」って文化があるでしょ?

あの文化に似てると考えてもらったら概ね間違いない……と思う。「似た部分があるから、くっつけちゃおうぜ!」ってことは一緒だから。

 

さっき言った「神仏分離令」は明治政府が押し出した、「そういう(本地垂迹)ことはやめましょう! ってかやめろ! ぶっ壊すぞ!」って命令。実際のところ明治政府はそこまで強硬な行動は取らなかったけど、この命令からかの有名な「廃仏毀釈」に繋がっていった……って「日本史の教科書」とか「るろうに剣心」とかで見覚えのある人も多いんじゃないかな。

 

そんなこんなで牛頭天王は信仰の表舞台からは姿を隠しちゃったけど、その神社は今もなお、過去と同じ流れで広嶺山に座し続けている……と書くとドラマチックに聞こえない? 聞こえないか。

ここで語ったのは僕の地元ゆかりの神社に纏わる話だけど、こういった話を神道では「ご由緒」って言って、多かれ少なかれどこの神社も持ってるよ。

 

これを読んでる君の地元の神社にも、きっとあることでしょう。いや、まあ、「古くから歴史を持つが、火事で本殿が焼失、記録が失われた」ってしか残ってない場合も多いけれども……。それでも、なんとか残っている情報を探し求めるのも、なかなか楽しいよ。

なんとなく初詣に行ってる神社の名前をグーグル先生に聞くだけでも、ぜひぜひ。神社・仏教関連は妙にウィキペディア充実してるから、それを読むだけでもいい。

 

なんにせよ、宗教を知ることは面白いことなのです。と、上手いこと言えたあたりで、そろそろまとめ。

 

神社・イントゥ・ザ・サマリー(まとめ)

・神社は日本文化の底流

・神社は気負わず行っていい

・神社はご由緒を探すのも楽しい

 

・宗教を知ることは面白い! 語ることは同じくらい面白い!

 

神社・とは関係ないあとがき

宗教記事はずっと書きたかったんだけど、上手いこと書けないまま下書きの肥やしを増やす日々だったのも、今日までのことになる……の?

今回も書いてたらどんどん多くなって、最終的にはちょっと長めな記事になってしまった。その反省も活かしつつ、最後にこの一言だけを覚えて帰ってもらえれば、僕的には大満足とします。

 

「客観的だと標榜する人は、だいたいのところ客観的ではない。「宗教勧誘は行いません」と前置きする人は、だいたいのところ宗教勧誘してくる」

それじゃね! しーゆーねくすたいむ!

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