青二才氏の吐露記事を読んでの、個人的感想
どうにも面白そうな記事を見てしまったので。
上の記事を読んで、思ったことを書く。
この方はいくつか名前があるけど、
一番知られている呼び方を使って「青二才氏」と呼称するよ。
1:はじめに
「はっきり言っておく」と、このブログは超零細ブログだよ。
青二才氏のブログとは雲泥の差っていうか、比べ物にならないほどの差がある。
僕が何を話すにしても、「社会的には」そこは重要なところ。
そこを加味して読んでいってね。
で、結論から話すと。
「プロテスタント教会でたまに見かけるタイプの人だなー」って思った。
あとは、「この人、相変わらず常識的な性格がにじみ出てる、お下品さの薄い文章だなー」と思った。
まとめればそれだけかも。
2:先に前提
まず、僕が青二才氏に抱く印象を端的に述べよう。
というか、一回書いた。
青二才さんは非常に道理的で、情熱溢れる人だなーっていつも思う。(一般的な部分からの)アウトロー寄りの精神性と反面的な道理性の同居。それが特徴的な人。
— リラ (@dettalant) November 27, 2016
と、書いたけれど。
オブラートを剥がせばもっと端的に説明できる。
僕の目には、青二才氏は「悪ぶってる常識人」にしか見えない。
(意図的な部分も多いだろうけど)
彼の文章は常に社会一般的な尺度から書かれていて、
それを外れることはほぼない。
例えば、だ。
僕は冒頭の記事を読んでいて、こういった疑問を覚えた。
- (迷惑撒き散らすの厭わないなら)「確実な」自殺方法なんていくらだってあるでしょ?
- なぜそんなに「社会に認められたい」と示すの?
- そも真に性格の悪い人は「自分はワルだぜ」とアピールしないよ
- なぜそんなに恋愛に固執しているのかは、あんまりわかんない
といった疑問点周りについて書きたいなと思った。のだけど。
……ええっと。
先にひとつだけ言い訳させて。
これから書く文章に、自殺教唆の意図は一切ありません。
3:楽しんでいられる間は
こういうタイプの人に多いのが、「生きなきゃいけない」という暗黙的な前提だ。
青二才氏の文章からも、少しそれが伺える。
(冒頭記事より引用)
本当に、テレビゲームだったら「ゲームを辞める」という選択肢も常にあるんだけど…人生にはそんなことがないんだよ。
泣き笑いしながら「生きていなきゃいけない」と言うのは、そういうこと。
泣いているのは「勝てもしないゲームで勝つか、降りるには失敗した時のことを一切合切考えない無謀さがない人間にとっては生きていることこそ地獄」だから。
引用したこの辺りとかがわかりやすい。
僕は「ほんとに降りたいのなら、なんで失敗した時を考えるの? 降りた後のゲームを考える必要ってあるの?」といった無謀な側だからね。
冒頭記事タイトルにもあるけど、「生きなきゃいけない」って暗黙の思想を感じちゃうなー。
えーっと……あくまで、僕としてはの考えね。
すべての宗教性・社会性を抜いて極論すれば、
人生は別段「生きる必要性はないし、死ぬ必要性もない」と思うんだよ。
生きていたいなら生きていればいいし、その逆もまた……同じこと。
「人間の自由意志」を認めない立場なら、話は別だけどね。
認める立場ならば、「ゲームを降りる権利」を誰だって与えられてるはずだ。
ならば「楽しめてる間はゲームを続ければいいし、そうでなければ降りてもいい」。
少なくとも僕が考えてるのはそういう感じのこと。
「後に残る迷惑を考えなければなんだって方法が〜〜」ってあたりは、悪いけど抑えさせて……。
一線踏み超えた文章書きそうだから、書くのが少し怖いの……。
4:悪ぶる必要性
心が煮えくりかえるくらいの悪人も、世の中には存在する。
だけど、少し考えてみて。
押しも押されぬ悪人が、「俺はワルなんだぞ」って言う必要はある?
……現実にあるのは、むしろ真逆だ。
唾棄すべき悪人ほど、「自分こそ善人である」と主張する。
そして、心清らかな善人ほど、「自分こそ悪人である」と主張する。
なぜかというと、人間が「慣れ上手」であるから。
毎食カップラーメンを食べる人は、味の濃さに慣れていく。
それと同じように、「罪の意識」にもすぐに慣れていくんだよね。
青二才氏がこの記事で言っていることは、実によくあることだ。
金がほしい、社会的に認められたい、女を抱きたい。
……あのね、正直言ってねー。
これが悪人扱いなら、社会の95%は悪人扱いですよ。
青二才氏が最後に自分で書いてるように、
彼は別段、悪人ではない。
「至極まっとうな常識人」としか、僕には読めなかった。
5:社会を拠り所にすること
もう一つ青二才氏の文章から読み取れることは、
彼が「社会的に認められたい」という欲求を相当持っていること。
「社会」って単語を、一記事で七回使ってるくらい。
青二才氏は見るからに「社会的」とか「一般的」などの言葉を、
自分と他人を図るものさしにしてる人だ。
僕はそこが、青二才氏の人気の秘訣だと思ってる。
だけれど、
回し車の中のハムスターのように見えて仕方ないの。
「社会」をものさしにして生きることは、
ぶっちゃけ苦しいばかりで、益が少ない。
どれだけの成功を収めたところで人間の欲望は限りなく、
満たされることは一生無い。
これは僕の想像(あるいは妄想)だけど。
青二才氏がこの先モテモテ女の子抱きまくり生活になっても、
性格が同じなら「同じことを主張してる」と思うの。
だって、この記事・他記事で青二才氏が主張してる不満は、
どれも「社会の歪みが許せない」っていう、
高潔な責任感に基づくもの(に見える)から。
社会の歪みが消えるわけなんて無いから、
自ずとずっと不満が続くことになるってこと。
6:おわりに
僕は洗礼受けてない、いわゆるノンクリスチャンなんだけどさ。
この記事読んだときに、
「この文章、クリスチャンに向いてそうな人……!」って思ったのよね。
- 強い責任感(真面目さ)
- 不正を許さない心
- 社会を拠り所とする姿勢
- 一般社会ではあぶれてしまう個性
- ピュアさ
上記の辺り、めっちゃプロテスタント教会で見覚えある感じなの。
クリスチャンは一見「社会を超越した部分を求めてる」ように見える。
けど蓋を開けて見ると、
実は「第二の社会的居場所を求めて」って人が、意外と多いの。
あまりに既視感を感じる流れを見てしまったものだから、
ついついここまで書いてしまった。
勝手に上から目線でいろいろ書き散らしてごめんね、青二才さん。
あなたの不正を嫌う姿勢、かなり好感を持ってるよ。 これからも頑張ってくださいね。
といった辺りで、この記事は終わり。 じゃねー。