楽書き4-きつね虫は夜の中におりました。(2016/12/06)
きつね虫は夜の中におりました。
まっくろな夜は、獣の口の中のように暗く。
空は淀み、雲は流れ、星は夢の彼方に消えたよう。
冷たい風がびゅうと枝葉を流れ、森の奥へとこだましておりました。
うら寂しい場所。そこは、誰の目にとってもそう見えたでしょう。
秋に散りゆく木の葉の山も、まだ未来への希望があるけれど。そこにはそれすら無いように。
ぽっかりと、すべてが距離を置いた、暗い広場。
きつね虫は、そこで尾を見ていました。ぺたりと力なく垂れた、大きな尾。
きつね虫からすると、巨人ほどに大きな背中。きつね虫からすると、大樹のように大きな耳。
きつね虫からすると、大河のように広がる毛並み。きつね虫からすると、大地のような広大さ。
その大きな尾を小さく丸めて、大きな耳を小さく閉じて、大きな背中を小さく寄せて。
小人のように振舞っているそれは、一匹の狐でありました。
「ねえ、どうしてそんなに大きいの?」
きつね虫が思わず問いかけると、狐は片目を開けて、また閉じました。
「ねえ、どうして耳を閉じてるの?」
きつね虫が次に問いかけると、狐は片耳を上げて、また閉じました。
「ねえ、どうしてここにいるの?」
きつね虫が三度問いかけると……その狐は、首をきつね虫へと向けて。
閉じることなく、その口を開きました。
「放っておいてくれ。ここはすでに終わった場所。わしはすでに終わった狐。滝が下から上には流れぬように、時節は戻らぬのだ」
空の黒雲がごろごろと唸るような声でした。
心からの悲しみと、落胆と、絶望がこめられた声でした。
きつね虫はふっと辺りを見回し。
木という木から葉が落ちて、枝という枝が枯れ果てた様子を見てから、言いました。
「終わったっていうのは、どういうことなの? 葉が落ちて、枝が枯れることなの?」
大きな狐は言葉を聞きながら、鬱陶しげに首を戻します。
「……それがどうした。見ればすべてがわかるだろう」
でも、きつね虫にはわかりませんでした。
「ぜんぜん。たしかに冬には葉が落ちて、枝は枯れるけど。また春には新しい葉がつくよ」
大きな狐は、忌々しげに顔をしかめて。片目を少しだけ開くと、一瞬だけ瞳をきらめかせました。
すると、怪しい光がまたたく間に辺りを包みこみ。木の枝が、幹が、まるで石のように変わっていきました。
これでは、春が来ても葉はつきそうにありません。
「これで文句はないか? ここは終わりだ……終わった場所なのだ」
しかし、きつね虫は納得いかない様子で体をにじりました。
「幹が石になったら、終わってしまうの? 石も砕けて砂になれば、何かを芽生えさせる土になるよ」
それを聞いた大きな狐は、またも顔をしかめて。
今度はもう片方の目を大きく開けると、また瞳をきらめかせました。
すると、鋭い閃光が走り抜けていって。石という石は白い塩柱へと変わっていきました。
これでは種をまいても発芽せず、芽生えは来ないでしょう。
「これで満足か? いいか、ここは終わりだ。すでに終わってしまったのだ……」
だけれども、きつね虫は納得していませんでした。
くっと首を上に向けて、狐に声を向けます。
「塩になることが終わりなの? 生きるものはみんな、塩気がなくちゃ生きていけないのに?」
狐はまた、顔をしかめて。
閉じていた耳を一層強く閉じると、口から凄まじい轟音を発しました。
すると、音は風の中で炎へと変わり、狙いすましたかのように塩の柱へと燃え移りました。
驚いたきつね虫が目を閉じて、次に目を開けた時。塩の柱は跡形もなくなっていました。
目に見えないガスだけをのこして、すべて燃えてしまったのです。
これでは、さすがのきつね虫も口を挟めそうにありません。
しかし、それでも。
それでも、きつね虫は疑問を感じていました。
「どうしてなの? あなたは何でもできるし、すべてを変えてしまえそうなほどだ。それなのに、どうして。……そんなにも、終わらせたがっているの?」
「お前には、わからぬさ。その小さな瞳で見れるものには限界があり、知り尽くすことの渇きを知りもしない」
「知らない。たしかに、そうかもしれない。ぼくはあなたの毛並み一本ほどの知識もないし、吹けば飛ぶきつね虫にすぎないよ」
「ならば――」
「でも。あなたが無理に諦めようとしていることは、“知っている”。じゃなければ、じゃなければ…………ここをずっと守らなくたっていいじゃないか」
きつね虫は、言いながら奥を見つめました。
大きな狐の体の奥にある、小さな土盛り。
朽ちた木製の十字架が突き刺さった、きつね虫の知らない誰かのお墓。
狐はけして振り返ることをしませんでした。
しかし、きつね虫を見ることもせずに。大きな首を小さく落とし、ふっと息を吐きました。
「見た目は虫でも、狡猾さは狐のものか。きつね虫とはよく言ったものだ」
「少し違う気がするけど……でも、ありがとう」
「ほめてなどおらん。その気などない。……その気など、なかったのにな」
ここではない遠くを見つめて、狐は静かにつぶやきました。
「……どんな人だったの?」
「底抜けの阿呆であったわ。愚かなことばかりする、愚か者であった」
「そっか。……いい人だったんだね」
「どう聞けばそう聞こえるのだ、阿呆が」
狐はくるりと体を回して、どっかと地に寝そべりました。これまでと同じで、しかしどこか違う様子。
きつね虫はその姿を見て、ようやく満足した表情を浮かべていました。
対する狐といえば、憮然とした表情を浮かべていたのですが。
「ふん。阿呆と話をして、わしはもう疲れた。そろそろいぬがいい、お節介な虫よ」
「そうする。楽しいお話をありがとね、大きな狐さん」
きつね虫がいざ進もうと振り返れば、東の空には夜明けの蒼。
進む旅人を祝すかのように、来る次の朝を知らせるようでした。
そして、ちょうど東の木陰から、見知ったきつねこびとが歩いてくる様子を見て取って。
きつね虫は小さく安堵を浮かべていました。
「あ、きつね虫! きみ、どこに行ってたのさ、もー! 夜通し探し回ってたんだよう!」
「ごめん、ちょっとお話してて」
「お話? いったいだれと?」
きつね虫はぱっと後ろを振り返ろうとして、やめました。
ご老体はきっと話疲れていて、この騒がしい友人には目を回してしまいそうだったからでした。
「うーん、大きくて優しい狐さんかな」
「へえ! いいなあ、会いたいなあ!? 会えるかなあ!?」
きつねこびとはキョロキョロと辺りを見回すつつ、ぴょんぴょんとその場を飛び跳ねました。
夜の中でも、昼の中でも、彼の元気さは変わりそうにありません。
「いつかね」
「いつかっていつ? 明日あたり!? それとも一週間後!?」
「そうだね……君の興奮が冷めてからだとは思うけど」
「それどういうこと? どういうことー!?」
そんな言い合いをしながら、きつね虫ときつねこびとが太陽の方向へと去っていった、その後。
騒がしさの過ぎ去った広場にはこれまでと同じく、でも、少しだけ暖かな空気が満ち溢れていたそうです。
おしまい。
きつね虫ときつねこびとは、ゆえふー氏(@alkalinelily)の創作キャラクターです。
また、勝手にSSを書いてごめんなさい。