ミニコラム:人の話し方が一瞬変わったときは
記述:2016/11/29
「#いいにくい話をする日」ってハッシュタグを見かけたから、つい。
これまで普通に話してたのに、
突如話し方/文体の毛色が変わる時がある。
そういうときは良くも悪くも、
その人の本心が現れているのだろう。
嫌いな人については攻撃的になる人、
好きな人については擁護的になる人。
そういう部分だけと捉えられるかもしれないけど、
もっと広い範囲でそれがある。
例えば、WEB関係の仕事に務めている人。
その他の話題と、「WEB関係」の話題とでは、
それこそ人が変わったように話し方が変わったりする。
例えば、宗教的な信仰心を抱いている人。
「その宗教を褒める話題」と「その宗教を責める話題」とでは、
目に見えて態度が変わる。
僕自身においても、そういう瞬間があると自覚している。
もともと僕は、文体が時と場合で変化する人だ。
意識的に変化させているときも多い。
つまり、ある程度「意識的に文をコントロールしてる」というわけ。
だがしかし、たまに自分でも文をコントロールできてない時がある。
比較宗教の話題(自分の好きなこと)は目に見えてそうだ。
僕としてはもっと使う単語を平易にしたいのだけど、
ついつい難しい単語を使ってしまう。
(今「簡単に」といえば良いのに「平易」という言葉を使ったように!)
あとは、気分がノッてヒートアップしている時。
ああいうときはある種の集中状態に入ってて、コントロールが効かなくなる。
話を戻そう。
人が人と話すとき、一瞬だけ態度が変わることがある。
おそらく本人も意識していない、無意識の変化。
「あー、それ好きなんですよー」とよく使う人が、
「それ好き。」と使う程度の変化。
「こういうのはどうでしょうか」とよく言う人(僕のような人だ)が、
「こうする“べき”です」と語気を荒らげるような変化。
そういうときこそ、「その人の本質的な主義主張が現れている」。
少なくとも僕はそう見てる。
「人付き合いが上手」と周りから言われる人は、得てしてそういった変化をつぶさに観察している。
「人付き合いが下手」と定義される人は、得てしてそういった変化に鈍い。
人の心を察することは、建物の影から太陽の位置を図るようなもの。
容易ではないが――――できる人はできる技術。
そうじゃないかと、僕は考えているんだ。