まださなぎ(旧)

誰かさんの蝋の翼。気負わず気楽に書いてくよ。

「キリスト教+同性愛」作品を作りたい人のための、マル秘Tips

元々「創作者のための、キリスト教入門講座」と題して書いてたネタだった。

けど、思いの外膨らんでしまったので、別の記事に分離。

だいたいタイトル通りの記事なので、よろしくね。

 

 

始めに

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キリスト教。数ある宗教の中でも、一番の有名どころ。

ただ、伝統的に「同性愛」について難しい部分を持つ宗教でもある。 

 

ぱっと「キリスト教 同性愛 作品」で検索してみても、

出てくるのは手厳しい意見が多い。

でも、優しい意見が増えてもいいと思わない?

 

はっきり言っておくと、僕は「百合作品」が好きなの。

「BL作品」もまた、大切なジャンルだと思ってる。

……けれど、キリスト教ネタと絡める上で問題点があることも、知っている。

 

その事実を知っても、けして恐れないで作品を作って欲しい。

そういう意図を含めた、一種の応援記事だよ。

 

Tip1:「キリスト教と同性愛」の現状


例えば話題になった「アナと雪の女王」。

あの作品は「見ようによってはそう見える」程度のレベルだけれど、

かなり大きな波紋を、同性愛嫌いの保守派クリスチャンに引き起こした。

 

もうひとつも、海外の作品での実例。

「イエスは同性愛者でマザコン」と描いた、度胸のある作品があってだね…。

この場合も大激論になって、結局は作品側が膝を折る結果となった。

 

「同性愛に対する、各教会のスタンス」は、驚くほど教会ごとに違う。

保守的な教会はダメで、革新的な教会ではOK。

それは知られていても、詳細なところはそんな知られてないよね。

 

とりあえず三つに分けて説明しよう。

  • 同性愛ダメ派の教会
  • 内部分裂が起きてる教会
  • 同性愛OK派の教会

 

まず最初の「同性愛ダメ派」。

これは多くの伝統的・保守的な教会がそうで……一応「カトリック」も入る。

 

カトリックの場合はこう。

  • 教義・公式的にはやんわり否定
  • 保守的な信徒は否定(こっちが多数派)
  • 革新的な信徒は許容
  • 少なめながら、「同性愛を認めよう」と公言してる神父さんがいる
  • 勿論、「同性愛はダメだ」と公言してる神父さんも多い

 

キリスト教根本主義ファンダメンタリズム)」に括られる所もダメ。

根本主義は、わかりやすく言えば「原理主義」なところ)

こっちの場合はこんな感じ。

  • 明確な否定を表明
  • 信徒としても明確な否定
  • アメリカなどでは襲撃事件も
  • 教義から何から、はっきり拒絶してる

 

「妊娠中絶問題」と同じく、非常にセンシティブな話題なことが分かると思う。

この辺りまでは当然な所。

 

で、「内部分裂が起きてる」で有名なところは、やっぱり「聖公会」。

イギリス王室お墨付きの「英国聖公会」からの流れのところ、なんだけど。

今こんな感じの分裂が起きてる。

 

  • ヨーロッパの聖公会は同性愛OKの構え
  • 米国聖公会は超リベラルで、無論同性愛OKの構え……だったんだけど
  • 国保守派の人たちが離脱して、同性愛ダメな北米聖公会になった
  • アフリカの聖公会は「同性愛ダメ」と表明してる
  • アジアの聖公会も、「同性愛ダメ」と表明してるとこが多い
  • 日本聖公会(のトップの人)は「LGBTにも歩み寄るべきだ」と書いてる※

(※参照PDFは「http://www.nskk.org/province/jimusyo_pdf/tayori308.pdf」)

 

まとめると、「もうめちゃくちゃ。大きく二分されてて溝が広がってる」感じ。

 

米国聖公会」は世界屈指の超リベラル教会として有名で、

逆に「北米聖公会」ではその揺り戻しが起きている。

それに代表されるのが、聖公会が今抱える問題。

 

 次、同性愛OKなところ。そこといえば……

なんといっても、アメリカの「メトロポリタン・コミュニティ教会」。

ここはLGBTの牧師さんが設立して、同じくLGBTの人を招き入れてる教会。

 

この教会の有名な主張といえばやっぱり、

「聖書は同性愛を禁じてはいない」だね。

いろいろ解釈を練って、そういう論理を組み立ててる。

 

日本だと、「『キリストの風』集会」というのがある……らしい。

これは「日本基督教団(日本で一番主流のプロテスタント)」において、

初めて「LGBTを表明した上で牧師になった」人が始めた集会。

 

プロテスタントの場合、わりとLGBT寄りの教会もあるんだよね。

 

とまあ、全部をまとめるとこういう感じ。

  • 保守派は、かなり強硬に同性愛を批判してる
  • 革新派も、負けず劣らず同性愛を擁護してる。
  • 大きく内部分裂している教会もある

 

どんな作品であれ「キリスト教+同性愛」な作品を描くのなら、

こういうキリスト教会事情を知っておくと、格段に描きやすくなると思われる。

「異なる二つの立場を知っておく」ことは、何についても重要なことだよね。

 

Tip2:具体的に無難な方法論

 

さて本題。

「Tip1」の部分で、程々には「キリスト教の空気」を感じてもらえたかと思う。

その前提を踏まえて、リスク管理に向いた方向性。

 

ぶっちゃけた話、「キリスト教」って謳わなかったらなんでも大丈夫。

「創造神の手で異世界転生〜〜」とか流行ってるのは知ってるでしょ?

そういう作品と同じように、モチーフを示さなければ、始めから問題はないの。

 

だから、ここからはキリスト教とはっきり示したい人向け」の話だよ。

 

モチーフを示してしまうと、如何せん批判の目を向けられる。

「これはまがい物のキリスト教だ」ってね。

 

そうならないためには、下調べが重要。

だけど……そういう知識的な部分は、今は置いておこう。

 

結論をざっくり具体的に言えば、

「一人のクリスチャンの話(個人の話)」というふうに描くとベター。

「個々人の意見の違いを、両方描く」モアベターってところ。

 

 (ここからは、その理由を語ろう)

元々キリスト教は「一人一人の信仰」を重視する宗教だ。

だからこそ、「他人の信仰に口出しするのはマナー違反」な基本点がある。

 

だからねー、「イエス・キリストが同性愛者だった!」あたりの、

他人の信仰を揺るがすような発言は、すぐに問題提起されてしまうんだよね。

 

それは半ば、仕方ない部分だ。

「目には目を、歯には歯を」とあるように、攻撃すると、攻撃を返される。

社会の摂理の一つだもんね。

 

そういうわけだからこそ、「個人の信仰の話」に持っていくと良いのだ。

「紆余曲折の末に、一人のクリスチャンが辿り着いた思想」とまとめれば、

口出しできる人は殆どいなくなる。

 

複数の教会・意見を出せば、それだけ「教義に反してる!」という批判を防げる。

正直同性愛関連については、「教会によってに教義が180度異なる」

そこを盾に取れば、ベリーグッドに思われる。

 

Tip3:よく言われる批判への備え

 

批判する人が一番よく使うのが、この一節。

 旧約聖書 レビ記 18章 22節

あなたは女と寝るように男と寝てはならない。

これは憎むべきことである。

 

この節をそのまま見ると、まあ同性愛批判に見えるよね。

新約聖書でも「パウロ先生の書簡」辺りで、男色批判がある。

 

この辺りに対する真面目な反論をお望みなら、

下世話なQ&A「キリスト教では同性愛はだめなんですよね?」

上記のページをオススメする。しっかり内容が詰まってて大変良いページ。

 

 上のページに置いて、僕が読んでて同意した点は、主にこれ。

(聖書の記述全てを)自分が守ってもいないし、従ってもいないくせに、

その聖書を盾に自分の主張を正当化するのは、

聖書を自分の目的のために都合よく利用することであり、

要するに聖書に対する冒涜です。

 ()の中は僕が追加した注となるよ。

 

この「自分は全て守ってないけど、批判には聖書を使う」ことは、

他者をよく批判するタイプのクリスチャンにおいて、よく散見されることだ。

 

元々「この記述は、旧約から新約へと移り変わった際に捨てられた部分で〜〜」

といった論理で、意図的に排除してる部分も多い。

 

一般に「聖書にはこう書いてある。守りなさいよ」と話される場合、

必ずそこには「(聖書には書いてあるけど)ここは守らなくていい」とセットだ。

その判断基準が、時代によって移り変わり続けてる。当然の話だ。

 

なので、重箱の隅をつつくような批判は、いちいち真に受けないでも大丈夫。

批判があった事実だけを心に刻んで、次に活かせばいいんだよ。

 

Tip4:自分の思いを貫くために

 

キリスト教は「誰かを批判する前に、まず自分を批判する」宗教だ。

それを扱う上では、どんな意味であっても、この節が重要になってくる。

 マタイによる福音書 7章 1〜5章(新共同訳)

 

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。

あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。

 

あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、

なぜ自分の中の丸太に気づかないのか。

 

兄弟に向かって、

『あなたの目からおが屑を取り除かせてください』とどうして言えようか。

 

自分の目に丸太があるではないか。

偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。

 

そうすれば、はっきり見えるようになって、

兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」

 

誰かに裁かれそうになった時は勿論、自分が裁ける立場になった時もそう。

これが理想で、そこには何の特別扱いもない。

まー、理想に生きるのはとっても難しいんだけどね……。

 

後は、関係ない分野でも重要なことだけれど、

「自分の信念をしっかり貫くこと」が大事。

 

新約聖書で一、二を争うほど有名な箇所にも、こうある。

 マタイ伝福音書 第七章 7〜8章(文語訳:旧漢字だけ修正)

求めよ、さらば与えられん。

尋ねよ、さらば見出さん。

門を開け、さらば開かれん。

 

全て求むるものは得(え)、

尋ぬるものは見出し、

門を叩くものは開かるるなり。

 

求めよう、雨を望むカエルのように。

君の頭の内にある作品を、きっと誰かが求めているはずだから。

……少なくとも僕は、「キリスト教+同性愛」な作品を求めてるから。

 

Good Luck! 君と作品に幸あれ!

 

終わりに

 

 なるべくうまくまとめたかったけど、どうだっただろう?

 

僕も、そんな役立つ人ではないんだけれど。

一応「クリスチャンではなくて、どんなにキリスト教冒涜しても怒らない人」

に入る方なんじゃないかと、ちょっとだけ自負してる。

 

「気になったけど、ちょっとこれは聞きづらい……牧師先生には特に」

って質問、わりとあるでしょ。

なので、聞きたいことがあったら、気軽に冒涜的な質問をしてね。

 

他に「こういう設定どう思う?」とか、「小生の作品を見よ!」とか。

僕のTwitter)とかに投げかけてくれたら、頑張って考えてみるよ。

 

あ、この記事の内容で間違ってる部分があったら、逆に教えてください。

おねがいしましゅ……。

 

credit:使った画像

青い十字架の画像は、Wikimedia commons先生から失敬してきた、

れっきとしたクリエイティブ・コモンズ画像。

https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Christian_crosses

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:12161046-cruz-cristiana-brillante-sobre-fondo-negro.jpg

上記二つのURLを参照のこと。